※神余くんの世界史あいらんど…河合塾世界史講師「神余秀樹」先生(吉崎の恩師)の“ちょっとdeepな”世界史をご紹介します。
★感染症の世界史・番外編(余談・雑談・ムダ話)
今回のこのテーマは、本2月の入試で頻出する可能性も想定されることでもあり、にわか勉強の結果を直前講習のプリントに組み込んでみたものが今回のベースです。当然、内容もあくまで受験世界史の範囲が中心です。
また、僕は医学関係の知識については、おそらく世間の皆さん以上に無頓着なド素人なのです。そんなことも含め御覧の通り思いつき的な事柄の羅列の域を出ず、その点で記述内容にも至らない点や不備もあろうかと思います。その点は御容赦のほどを。
本来は日本の感染症の歴史(特に明治~昭和期の結核やコレラの猛威)や、世界史全体を通じての中南米やアフリカ地域の状況も俯瞰できればとは思いつつも、自分の力のなさが自覚されました。
ただ今回の作業を通じ、感染症の問題はやはり世界史の展開においてとても無視できない重みを持つ、と同時にこれが気候変動や火山の爆発や地震、人口の変化に深く結びつくという近年感じていることを再認識したことも事実です。
今回の付け焼刃的にわか勉強で読んだ数冊のなかでも非常にお世話になった本が、石弘之『感染症の世界史』(角川文庫、2014)と、速水融『歴史人口学事始め』(ちくま新書、2019)でした。
特に、速水氏の本にはその道の泰斗の人生を貫く迫力を感じました。
幼い頃からの『私の履歴書』的な構成で話は進むのですが、1950年代からの安良城盛昭氏の「太閤検地革命論」をめぐる論争のくだりにはうなってしまった。太閤検地は「小農民」を基礎とする封建制を確立した「封建革命」であったとする安良城氏の所論は、僕も学生時代から実はかなり影響を受けていたこともあり、昔の記憶がよみがえりながらも全編を一気に読んでしまいました。
話が少し理屈っぽくなってしまいますが、戦後の世界史の教科書を書く多くの先生方の頭の中では、まず大前提として「原始共産制(先史)→奴隷制(古代)→農奴制・封建制(中世)→資本制(近代~)→?」というマルクス主義の発展段階論が影響力を持っていました。(「?」の部分は政治的に先鋭な意味をも持ちましたが。※)
速水氏が中東旅行でピラミッドの頂点に立った時にそんな時代区分論がふっ切れたというくだりが、「世界史」を手掛けてきた僕には今になって凄くわかる気がするのです。
「はじめに理論ありき」で現実を見ようとすると、どうしてもそこに先入観が入る。「この時代は農奴制なのだから、そんなことはないはずだ…」などと。速水氏は膨大な古文書を読み解く実証作業を経て、その理屈では説明できない事実を次々と挙げていく。さすがにプロフェッショナルの歴史学者とはかくの如きかと凄みを感じます。
そしていわゆる「スペイン風邪」。詳細に興味のある方は『日本を襲ったスペイン・
インフルエンザ――人類とウイルスの第一次世界戦争』[藤原書店、2006]をご覧ください。
この「ちくま新書」の一代記を最後に速水融氏は、2019年12月に永眠。この頃、武漢ではすでに感染拡大が始まっていたことを考えると、なにやら神の摂理すら感じます。
※その典型例が1930年代の「日本資本主義論争」というもので、明治以降の日本は、「寄生地主制」を基盤として「封建的残滓を残す絶対主義的天皇制」なのか(講座派)、「畸形的ながらも資本主義的発展をとげた」ものなのか(労農派)という論争です。それによって「来たるべき日本社会の変革のあり方」が変わってくるから、これは大変です。労農派は「プロレタリア革命で社会主義だ」となり、講座派は「まずはブルジョワ革命だ」となる。
フランス革命が「ブルジョワ民主主義革命」の典型として、日本の世界史教科書でも決定的な意味をもって書かれてきた背景にも、そんな発展段階論の影響があるわけです。(これにつき合わされてきた全国の受験生諸君も、御苦労様です。)
〈神余秀樹先生プロフィール〉
1959年、愛媛県に生まれる。広島大学文学部史学科卒。民間企業勤務などを経て受験屋業界の“情報職人”となる。あふれる情報の山に隠れた“底の堅い動き”。“離れて見ればよく見える”。さらに“常識から疑え”。そんな点も世界史のすごみかと思う。
目標は「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」。学校法人河合塾世界史講師。
【著書】
『神余のパノラマ世界史(上・下)』(学研プラス、2010初版・2015改訂版)
『世界史×文化史集中講義12』(旺文社、2009)
『超基礎・神余秀樹の世界史教室』(旺文社、2018)