407.「★世界史魔界倶楽部・ついでの回想録」

※神余くんの世界史あいらんど…河合塾世界史講師「神余秀樹」先生(吉崎の恩師)の“ちょっとdeepな”世界史をご紹介します。

世界史魔界倶楽部・ついでの回想録

 「極悪非道・魑魅魍魎…の伏魔殿」と言えば、忘れてはならない物件があったのを思い出した。(うっかり忘れてました。失礼。)

 

第1話・悪の美学か、倒錯の愛か。

まず思い浮かぶ傑出した超難題! 世界史教育の歴史に輝く不滅の金字塔といえば、やはり高田馬場のW大学・社会科学部の2011、です。

何よりも、正誤判定の難問で知られる同大の、通例なら「誤りを一つ選べ。」というところを今回は「すべて選べ。」というのが並ぶから、これだけで極上の難問となる。内容も、ナイジェリアで油田の発見された時期や「エティエンヌ=マルセル」くらいは序の口。インドのパラッヴァ朝、唐代の「括戸」、ブルンジの内戦、、、(!)

解答速報会議に集まった先生たちからは口々に「無茶だ」「言語道断だ」「わせだ(あ!)の教授並べて解かせろ」と非難と怨嗟の声が上がった。(議論の結果、この時の解答速報の難易度判定は大問4題中3題が「難」。コメント欄には「受験生にはあまりに難しい」と。)

その直後、K塾とかいう予備校の「世界史講師有志」から、同学部宛てに質問状が出されたという。もちろん大学に失礼のなきよう注意をはらいながらも、歴史教育のあり方にも言及したものだったとか。(もう時効?原文・小生のPCにあります。んじゃ、公開も可よ。)。その結果(かどうかは知りませんが)、翌年からの同学部の問題は、あまり面白みのないB級グルメ「通常レベル」の難問に「なり下がって」しまったとさ(?)

今にして思うに、同学部には世界史を得点源にして生きてる受験生も全国から結集していたとも思われるが、そんな「一芸名人」たちを敢えて奈落の底に突き落とし「努力なんてしょせん報われない」という冷厳たる事実世の不条理を、未来ある若者たちに知らしめる倒錯した愛による出題だったとの見方も…(?)。

 

第2話・伝説となった狂乱の宴。

永くギョーカイに語り草となっていたアイテムもありました。

現・日銀券最高額紙幣の先生の創業によるK大学・経済学部の1991世界史(社会Ⅱ)。大問Ⅱ。19世紀イギリス史の出題でした。

泡沫会社禁止法、買い占め禁止、株主の有限責任制、1844年と1847年の工場法の内容……。これら全てに「正しいものに1を、誤っているものに2を」と。

この時の河合塾の解答速報誌の難易度判定は、なんと「常識外」(!)。

出題する側もあっぱれ(!)なら、判定する側も破天荒。

「つはものどもが夢の跡」? まあ、問答無用の、荒っぽい時代でした。

余談ですが、実はこの時の解答速報スタッフには、教科書の執筆にも関わっておられる山本先生(※)も参加されており、たまたまその数日後に開かれたという某社の教科書編集会議に、その問題を持ち込み、「見てくれよ。こんなひどい問題が…」と広げたところ、居並ぶ著名な大先生方、「いや、私の専門は17世紀だから」とか、皆、逃げ回ったと、後日の山本師の弁。うーん。「専門家も逃げ回る入試問題」。ここまで来るともはや、悪魔も狂喜乱舞の極致か。はたまた、宇宙人ジョーンズが「この惑星の住人は不思議だ」という風景か。

 

ずっと平和なこの国の、ほんの小さな一幕でした。

 

 

(※)故・山本洋幸先生。戦後「世界史」が始まったばかりの1949年、東京教育大付属(現・筑付)の教壇に立たれて以来、「社会科」教育界の要職を歴任された大御所。公職を退任された後は、予備校という俗世に“下野”なさり、我々の間では“山本の御老公”。駆け出しの若造だった僕もずいぶんお世話になりました。晩年、世界史教育について語っていただいた講演録『歴史教育半世紀』(非売品、河合塾・2001年)は、不肖、取りまとめをさせていただきました。(「お役所の御指令でやった教科研究、クソおもしろくないんですよ。これが」と、ホンネで始まる。やはり“御老公”でした。)


〈神余秀樹先生プロフィール〉

 1959年、愛媛県に生まれる。広島大学文学部史学科卒。民間企業勤務などを経て受験屋業界の“情報職人”となる。あふれる情報の山に隠れた“底の堅い動き”。“離れて見ればよく見える”。さらに“常識から疑え”。そんな点も世界史のすごみかと思う。

 目標は「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」。学校法人河合塾世界史講師。

【著書】

『神余のパノラマ世界史(上・下)』(学研プラス、2010初版・2015改訂版)

『世界史×文化史集中講義12』(旺文社、2009)

『超基礎・神余秀樹の世界史教室』(旺文社、2018)