※神余くんの世界史あいらんど…河合塾世界史講師「神余秀樹」先生(吉崎の恩師)の“ちょっとdeepな”世界史をご紹介します。
★YOUは、何故日本人?
――もしくは、「亜米利加」の読み方・その1
「私、この国を選んで生まれて来たの」という人は、僕の知る限りでは、あまりいないと思います(一部の超能力者?を除けば?)。
「わかりきったこと言うなよ。日本に生まれたから日本人よ。」と言われそうですね。
でも、「自分は(or自分の祖先が)この国を選んだんだ!」という国が、あります。そう。アメリカ合衆国。「たまたまそこに生まれたから」ではなく。
世界の人材を集め続ける国。今も選ばれ続ける国、について。
■「移民の国アメリカ」は教科書の常識、ですね。
僕の知ってる具体例から挙げると、アダム・スミス先生が学長を務めていたグラスゴー大学に理科の実験器具をつくる職人ジェイムズ・ワットがいた。彼が次々開発・改良する蒸気エンジンを売って回ったパートナーがボルトン。ボルトン=ワット商会の、いわば商品開発担当ワットと営業マネジメントのボルトンは、その後いずれも合衆国に移り、その子孫の名は今も米国のVIPとして、日本の報道にもたまに登場します。
類例は無数。例えば、重農主義者ケネーの弟子にデュポンという人がいて、彼もアメリカに渡り設立した火薬メーカーが、南北戦争の北軍勝利に貢献し、第一次大戦では連合国の弾薬の4割を供給し、ついでに後には水爆も作った。(ついでに、デュポン財閥の本拠デラウィア州は一時は“デュポン州”と呼ばれたそうです。)
■拙著より引用します(一部、語順・改)
「その人が何者かではなく、何ができる人なのかがこの国では問われるのだ」と。アメリカ独立革命(1775~83)に際し大活躍をみせたベンジャミン=フランクリンの言葉です。人の身分や家柄ではなく能力が評価される国だというのです。
貴族秩序を色濃く残す欧州(18~19世紀)と比較しても「トンデモない国」が誕生していたわけです。事実、「できる」人材が続々と海を越えてこの国に参加して来ます。“移民の国アメリカ”は、移民の頭数以上に、質と能力の開花する国として始まりました。(同時に自己責任と競争原理の国です。) [拙著『超基礎・世界史教室』(旺文社)p.182。ついでに。受験本ではありませんので。]
個人の能力を高く評価する国に人材は集まる。マネーも集まる。(大谷翔平くんが、公務員的な横並び給与じゃ、夢もないでしょ。つまり「平等は絶対に善なのか?」)
■権力者も暴走できない制度設計
もちろん、鎖で縛られ無理やり連れてこられた人たちもいました、奴隷貿易で。彼らの地位がどうあるべきか、果てしなき差別と流血の連鎖を繰り返しながらも、今も悩み続け、何よりそれを隠蔽しない。隠さない国。ベトナムでも、イラクでも大失敗。されど「言論・報道の自由」の国。ジャーナリストの戦いが大統領をも失脚させる国(1974)。
――――――続く
〈神余秀樹先生プロフィール〉
1959年、愛媛県に生まれる。広島大学文学部史学科卒。民間企業勤務などを経て受験屋業界の“情報職人”となる。あふれる情報の山に隠れた“底の堅い動き”。“離れて見ればよく見える”。さらに“常識から疑え”。そんな点も世界史のすごみかと思う。
目標は「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」。学校法人河合塾世界史講師。
【著書】
『神余のパノラマ世界史(上・下)』(学研プラス、2010初版・2015改訂版)
『世界史×文化史集中講義12』(旺文社、2009)
『超基礎・神余秀樹の世界史教室』(旺文社、2018)