524.「★円安・インフレ・日本沈没?―――まだ『先進国』でいられるうちに」

※神余くんの世界史あいらんど…河合塾世界史講師「神余秀樹」先生(吉崎の恩師)の“ちょっとdeepな”世界史をご紹介します。

★円安・インフレ・日本沈没?―――まだ「先進国」でいられるうちに

近況。9月初めの新学期は、いわゆる「フランス革命」の話から。国王をギロチンにかけた「共和国」について、あれこれ読んでいた矢先、英国では女王陛下が死去!豪・NZ等の“英連邦”はもちろん、精神的には米国も含め、“世界の女王”を追悼する光景。

19世紀以来の“アングロ・サクソンの世界帝国”は、まだまだ安泰のようです。
今や最強のドル

円安が止まらない!先月からますます米・FRB議長のタカ派姿勢(=利上げ)が際立つ。超巨額の借金(ブルボン朝・1789にも似て)などで利上げできない日本との日米金利差はさらに拡大。マネーはますます米国へ流れ円が売られる

プロの金融マンが株や為替に反応するのは当然だが、商店街のオバちゃんや町工場のおっちゃんも影響を受ける。社会科の先生なら知らないでは済まされない。その点、僕は無責任な立場のアバウトな歴史屋なので、のんびり眺めることにしている。細かい数字は専門家に任せます。(大局的な上げ・下げの要因だけは極力チェックしてますが)。

そんなスタンスがほぼ固まって10年近くにはなる。

しかし、今回は何か違う。偶発的な上げ・下げとは思えない。

底の堅い動き”、つまり歴史の流れがいよいよ動き始めたのか?

ニッポンが安い!」といった話をよく耳にするようになった(※1)。この夏、海外に出た人が世界的なインフレに驚く様子も。大騒ぎは禁物だが(※2)、実際この勢いだと、たとえ「7%の高利回り!」の投信なんて類も焼け石に水だ。年金生活のお年寄りも破綻か?

“インフレとは国民に不可避の血税である”(ケインズ)

(かつては円安ならば輸出が伸びた。今や生産拠点の海外移転などもあって円安なのに輸出が伸びない。)

“コロナ鎖国”の2年余り、domesticな話題ばかりが目立つ島国“ガラパゴス日本”の、外で、何が起きているのか?

(※1)円の価値が最も高かったのは、実質実効為替レート199495頃だったと思う。「実質」とはインフレを考慮した数値。「実効」とは海外との比較での数値。野口悠紀雄さんの弁を借りれば「1970年代、日本人はロンドンに行っても三流ホテルにしか泊まれなかった90年代、一流ホテルに泊まれるようになった。そして2020年代、また三流ホテルに戻ることになる」と。(本HP旧稿「みんなで仲よく沈む国」参照。)

(※2)すぐに「ハイパーインフレだぁ!」と叫ぶ金融評論家にFさんがいて、自称“オオカミ少年”ならぬ“オオカミ爺さん”と御本人も半ば自嘲する彼の本も読んではみたが、「1923・独、手押し車の年」の再来はないと、僕は思う。あの時は独・中銀の狂乱の紙幣増発(印刷機は昼夜フル稼働。民間の印刷所も動員。さらに裏白紙幣まで!)があった。また、元「外資系金融マン」の評論家・某氏に至っては2016年の講演会で「いよいよハイパーインフレですよ。私は妻と食料品の買いだめ・備蓄を始めました」と吹いた。バカバカしくなって中途で退席した。その後もデフレは続いた。彼、離婚されてなきゃいいが…。

 

インフレとデフレ。どっちが恐い?ハイパーインフレはあるが、ハイパーデフレというのはない。「インフレは一度火がつくと止まらなくなる」とは、長年私淑する元日銀幹部の経済学者・島村高嘉師(※)の言葉。

(※)『戦後歴代日銀総裁とその時代』[東洋経済新報社]など著書多数。なかでも『金融読本』[東洋経済新報社]は今や[第30版]を超えるロングセラー。おつき合いの始まりは、某私大の市民講座で、大学を御退職後も、米・西海岸の邦銀に長くいたT氏を中心に「島村師を囲む会」は今も続き僕も末席の常連。柔和で気さくな人柄のなかに時折見せる金融政策の現場で鍛えられた厳しさに魅かれてます。

その島村師が、この7月初旬にポツリと漏らした言葉に、アンテナが立った。

円や日本国債を今、誰が持っているか。日銀は見ている。海外の投資家筋との間に、この5月頃から、実は“危機”があった」と。

 

★攻防・“日銀v.s.海外勢”

あまり大きくは騒がれませんでしたが(コトの重要性ゆえに敢えて?)、この5月から6月にかけて、日本国債を売る海外投資家筋と、守る日銀の、静かで熾烈な攻防が展開されていたことを(一部、新聞記事でも)御存知の人も多いだろう。

幸い7月になってECB・欧州に舞台が移り、一応は事なきを得た。が、第二波、第三波は確実にありそうだ(※)。来年は日銀総裁の任期、現K総裁の大規模金融緩和(いわゆるアベノミクスの根幹)限界と副作用が、いよいよグローバル市場の波に洗われることになるのか?

※最近の日銀の動向(レートチェック)を見て、政府の円買い介入を予測する向きもあるが、『日経新聞』(9月19日)の清水功哉編集委員の所論によれば、円買いに投入する外貨準備の多くを米国債が占め、これを売れば米国債は下落(金利は上昇)、日米金利差ますます拡大、さらなる円安の恐れもあるという。そもそも、介入は日米の協調介入でこそ効果が上がるが、日本の単独介入では効果は薄いはず。とすれば、
これは……?

★日銀マンの“人格競争”

もひとつ。最近の島村師の回想の言葉から。

日銀も組織ですから役職・ポストをめぐる競争もあります。しかし、それとは別に、セントラル・バンカーたる矜持と品格を競う、いうなれば「人格競争」とでもいうべきものが確実にあった、と。

聞いた瞬間、僕は長年の疑問のヒントを見た気がした。

出世狙いで共産党に入党するソ連の“赤カブ党員”[外は赤いが中は白い]。(あ、これゃソ連も崩壊するわ。)」と似たような方々が、わが国の一見「民主的」な団体や組織にも実は多くおられて仕事の質と中身よりも、外面的な地位とポストに固執する姿を見てきたからです。

予告です。そういうわけで、次のテーマは「そもそも中央銀行って何なん?」。なぜ、通貨価値を守るインフレ・ファイターが必要なのか。なんと答えは世界史だったのです。ナポレオンが逆立ちしても英国には適わなかった理由。その英国=ポンドの支配する金本位制の世界ドルの帝国に交代する話も含め。

 

――――2022年9月21日、記


★神余秀樹プロフィール

 1959年、愛媛県に生まれる。1978年、広島大学文学部史学科東洋史専攻に入学。中国農村社会史に関心。1980年3月に訪中。解体寸前の人民公社の実地見学や劉少奇の名誉回復など、“脱・文革”の流れを実感。韓国・朴正熙政権の経済構造に関する研究会の他、露・ナロードニキの“非西欧性”と文学の関係には没入(大学の単位制度は無視)。丸山真男の超国家主義論、竹内好の魯迅論、三浦つとむ「官許マルクス主義」批判や、高野孟『インサイダー』に強く影響を受けた。意図的・計画的な留年2年を経て(当時、学費は安かった)卒業後、電気通信系の民間企業を経て塾業界へ。世界史の“情報職人”となる。

198990年、在英日本人高校の講師として英国在住。産業革命遺跡などを巡る一方、崩壊直前の“ベルリンの壁”、東欧・民主化革命の現場を見る。(その後も、パレスチナ和平に揺れるエルサレム[1996]、中国への返還前夜のポルトガル領マカオ[1999]など、歴史の積み重なった現場の数々を歩いた。)
 帰国後は河合塾世界史講師として30年余り。地図と年表を組み合わせて俯瞰する立体的マトリックスの手法をめざす。講義のほか模試の作成、難関大対策業務の数々、高校の先生方対象の入試研究会や研修なども歴任。

大学の市民講座は頻繁に聴講。近年は、歴史の底流たるマネーの流れにもこだわる。

目標は「難しいことを易しく、易しいことを面白く、面白いことを深く」。

 

★著書

『神余のパノラマ世界史(上・下)』(学研プラス、2010初版、2015改訂版)

『タテヨコ世界史 総整理・文化史』(旺文社、2009初版、2022改訂版)

『超基礎固め 神余秀樹の世界史教室』(旺文社、2018