※神余くんの世界史あいらんど…河合塾世界史講師「神余秀樹」先生(吉崎の恩師)の“ちょっとdeepな”世界史をご紹介します。
★歴史のなかのセントラル・バンカー
A・猪木が死去!一部には「彼こそ国葬ダァー!」の声もあるとか。
かつて講師仲間で“河合塾世界史科プロレス研究会”を称して会場によく乗り込んだ(「長州v.s.天龍」戦の頃。“試合に負けて勝負に勝つ”美学もあった)。
★回想の1972年
猪木が新日本プロレスを旗揚げしたのが1972年。ミュンヘン五輪の男子バレーが注目を集め、小柳ルミ子さんが『瀬戸の花嫁』を歌った頃か。前年1971年のニクソン・ショックで、1ドル=¥360の時代が終わり、日本人が海外に向けて挑戦を始めた時代だった。(この頃からマネーの動きが重要な意味を持ち始めた。)
今、あの頃の円の価値に戻ってる。例の実質実効レートは、50年前の1972年の水準という。(「海外は高嶺の花」の時代、再び?)
※先日、当局の円買い介入について本HPで言及した翌日(9.22)、さっそく!「え?ここでヤルかよ!?」。そのタイミングには僕も驚いたが、効果はやはり薄い、と書いた通り(財務省の担当者はご苦労さんだが)。今日も無情に円安は続く($:¥148)。いよいよ手も尽きたか?(敢えて公表せずのステルス介入も含め) “市場v.s.国家”の虚しき風景・2022か?
★ヨビコーの教室では―「レーガンの高金利」
僕らの仕事は入試問題から。慶応・経や早大・商などをはじめ、「ニクソン声明、プラザ合意(1985)、アジア通貨危機(1997)」etc.は冬期・直前講習の定番ネタだった。グラフ・資料を見ての論述で。
一見難解な金融史もプロレス流の解説で(と、試みはするものの…)。で、ええい。もう理屈抜き!「レーガノミクスは高金利・ドル高ぁ!」覚えとけ、などと…。
★でも「レーガンの高金利」は実は正確ではない。
レーガン本人は高金利を嫌がっていた。当然だ。政治家だもの。高金利は景気を冷やす。政治家は票を取らねばならないから景気を良くしたい。「バラマキ」と批判されても財政は拡大したい(これは財務省にやらせる)。金利は下げてもらいたい。つまり金融緩和。(金利[短期]は中央銀行が決める)※。だからたびたび中央銀行に圧力をかける。「金利を下げろ、下げろ~」と。
そんな政府の圧力を頑として拒否していたのが、時のFRB議長P・ボルカー(長身。信念の人)、鬼の高金利でした。※長期金利は市場で決まる[10年物国債金利が指標]。
★敢えて心を鬼にして
なぜ高金利なのか?1970年代の石油危機(×2回)によるインフレを鎮圧するため。(ボルカー氏の自伝によれば、不動産業者からはFRBに嫌がらせで住宅建材が大量に送られてきたとか。たしかに不動産屋さんには利上げは悪夢でしょ。)
景気を冷やす。株価も下がる。庶民も苦しむ。でもそれを承知でやらなきゃならん。通貨価値を守る。職業的な憎まれ役こそインフレ・ファイターの使命。だから中央銀行は政府から独立してなきゃいけない。(現FRB議長パウエルさん、まさにそのDNAを受け継いでるようで…)。
★で、中央銀行って何なん?
結局、水道の蛇口を緩めるor絞めるかのどちらか。ただ、その程度とタイミングの微妙な判断はプロでも難しい。常に「市場との対話」で調節する。
歴史屋に示唆的な例は1992年か。大統領選で負けたブッシュ(父)[1989~93 G.H.W.Bush]は「FRBが俺の言う通り利下げに応じてくれてりゃ(景気も上向き)、俺は2期・8年やれたはずなのに…」と、晩年ずっとボヤキつづけたという。ホワイト・ハウスの圧力を頑強に拒否し続けたのがFRB議長グリーンスパン。時の状況では利下げはダメだと。(※)
(※)“マエストロ”と呼ばれた“ドルの守護神”。ちなみに彼は共和党員だったが、党派利害より中銀の任務を通した。さらに、新大統領に決まったビル・クリントンに依頼、というより説明に行ったという。「緊縮財政にしてくれ。(長期金利を抑えるためにも)」と。民主党政権が予算拡大に走ることを懸念したらしい。議長の講義をじっと聞き、それを理解したクリントンは、その後、民主党内の反発を抑え、緊縮予算を堅持したという。(詳しくはボブ・ウッドワード『グリーンスパン』[山岡洋一ら訳。日経ビジネス人文庫]p.156~※著者・訳者ともに凄い!)
★答えは、世界史でした。
例えば古代ローマ・軍人皇帝期、貨幣悪鋳でインフレを招く。英・16世紀のヘンリー8世も同じく悪鋳。で、インフレ(→「グレシャムの法則」へ)。政治家は粗悪な通貨を乱発する誘惑にかられる。公共事業・福祉バラマキの「大盤振る舞い」もしたがる。結局、インフレ政策。つまり通貨価値を毀損する。(※)
(※)拙著『超基礎・世界史教室』[旺文社・2018](p.209など)には少し詳しく述べました。
たとえ「政府」の紙幣でも、市場から信認されなきゃ紙屑です(いわゆるフランス革命期、パリの「革命家」の「××政府」の発行する紙幣のハイパーインフレなどは典型か)。
以上、イングランド銀行(設立は1694年だが、当時は中銀ではない)など、経験論の国・イギリスを中心に、次第に蓄積されてきた「政治権力からの独立性」のお話です。
ついでに、19世紀の金本位制の拡大が、欧州では通貨発行量を制約し、1873年からの長期不況へ(関連してオスマン帝国の財政破綻(1875)も。(「ナントカ何世」の名前を覚えるより、関連性を理解することが重要なはず、でしょ)。
あくまで門外漢・歴史屋の興味でテキトーに並べました。
※経済小説、いろいろ読んだ中でも幸田真音さんの本は、終局への展開に切ない華麗さを感じさせるものが多く好きです。特に『日銀券』は、僕ら素人になじみの薄い短資会社の話など興味深いものでした。
――2022年10月15日、記
★神余秀樹プロフィール
1959年、愛媛県に生まれる。1978年、広島大学文学部史学科東洋史専攻に入学。中国農村社会史に関心。1980年3月に訪中。解体寸前の人民公社の実地見学や劉少奇の名誉回復など、“脱・文革”の流れを実感。韓国・朴正熙政権の経済構造に関する研究会の他、露・ナロードニキの“非西欧性”と文学の関係には没入(大学の単位制度は無視)。丸山真男の超国家主義論、竹内好の魯迅論、三浦つとむ「官許マルクス主義」批判や、高野孟『インサイダー』に強く影響を受けた。意図的・計画的な留年2年を経て(当時、学費は安かった)卒業後、電気通信系の民間企業を経て塾業界へ。世界史の“情報職人”となる。
1989~90年、在英日本人高校の講師として英国在住。産業革命遺跡などを巡る一方、崩壊直前の“ベルリンの壁”、東欧・民主化革命の現場を見る。(その後も、パレスチナ和平に揺れるエルサレム[1996]、中国への返還前夜のポルトガル領マカオ[1999]など、歴史の積み重なった現場の数々を歩いた。)
帰国後は河合塾世界史講師として30年余り。地図と年表を組み合わせて俯瞰する立体的マトリックスの手法をめざす。講義のほか模試の作成、難関大対策業務の数々、高校の先生方対象の入試研究会や研修なども歴任。
大学の市民講座は頻繁に聴講。近年は、歴史の底流たるマネーの流れにもこだわる。
目標は「難しいことを易しく、易しいことを面白く、面白いことを深く」。
★著書
『神余のパノラマ世界史(上・下)』(学研プラス、2010初版、2015改訂版)
『タテヨコ世界史 総整理・文化史』(旺文社、2009初版、2022改訂版)
『超基礎固め 神余秀樹の世界史教室』(旺文社、2018)