536.「★回想のナベさん。もしくは、人生の分岐点?」

※神余くんの世界史あいらんど…河合塾世界史講師「神余秀樹」先生(吉崎の恩師)の“ちょっとdeepな”世界史をご紹介します。

回想のナベさん。もしくは、人生の分岐点?

 

薄暗い居酒屋のカウンター。

「で、キミは予備校で何を教えとんじゃ?」と彼は聞いた。

「あ…、えーと。世界史です。」少し恐縮した答え方を、僕はしてみた。

「ほぅ。せ・か・い・し、ねぇ…」と彼は、天井を見上げた。しばしの時間が流れた。数秒後、煙草の煙を噴き上げ、僕の顔を見すえて、彼は言った

つ・ま・ら・ん・ことやっとんのぅ…。」

「……」

 

時は、1990年代頃だった。

新宿・花園神社にほど近い居酒屋「R」。その数年前、英国の日本人学校からの古い知人の紹介でお会いしたママさん、Reiさんとは、なぜか波長が合ってしまい、やがて河合塾の講義を終え、たまに顔を出すように。ある日は「おい、かなまるちゃん。店番しといて!」と、言って出てったまま…。え?俺かよ…。なぜか手伝い(その夜は、店の奥の長椅子に寝転んで。結局、朝まで)。

お客さんも多士済々。演劇関係、ギタリスト、作詞家、カメラマン…、正体不明の怪しい人も。当時注目のInter Net業界の先駆者T氏、俳優から国会議員になったN氏。さらに全国銀行協会のTopK氏など。Reiさんの人脈も凄かった。当時の僕は異業種・別世界の人に触れるのが、ただ楽しかった。例えば、意気投合したお姉さんOTさん。男気のある女TBSのドラマの制作現場を仕切っていた。話はハチャメチャ。飲み歩いた。(あ、歴史学者のF大先生も。これはまた別の話で。)

、「ナベさん」は常連中の常連だった。いつも一番奥の席に陣取り、大きめの体格大きめの顔大きめのメガネで、じっと黙って飲んでる。が、とにかく存在感があった。店の仲間うちでの話では、浅草界隈のセクシーな劇場をはじめ、少し(かなり?)ヤバい踊りをするダンサーさんたちの衣装・コスチュームを作って、納入する企業Fの社長さんだという。最初は「冗談だろ」と思っていた。が、そうではない現実を、やがてリアルに理解した。

 

話を戻そう。

世界史なんて、つまらん仕事、とっとと辞めて、俺んとこ来るか?」彼から見れば、それなり真面目そうで使い道のありそうな若造だったのかも。その後、彼の会社に同行したり、で、冗談抜きのマジのお誘いだということもわかってきた。

「いいぞ~、ダンサーの子たち。衣装も俺がつけてあげるのよ」聞けば、衣装の大半はフィリピンで作る。現地には度々足を運ぶ。なるほど~、ロートレックか、永井荷風の如き日々か。(しかも、「海外勤務あり」と。)

マジ、少し心は動いた。今日は池袋校、明日は立川校…、ドサ廻りの旅芸人とは言わないが、やれ「クロムウェル…」「メッテルニヒ…」と、声張り上げ汗だくチョークまみれの日々よりは…。

しかし、残念ながら予備校業界で、当時それなりのポジションを持つようになってしまっていた僕は、ナベさんの誘いに応じることはなかった。(やはり世界史が好きだったのか、単に勇気がなかったからか?)

 

もしあの時、ナベさんの所に行ってれば、今頃はアジア各地をまたにかけ業務を拡大。ファッション・ブランドかグローバル・エンターテイメントの仕掛け人として、イーロン・マスクCEOに対抗し…。(いや、とても僕にそんな才覚はないでしょ、と尻込みするからダメなのよ。ユニクロの柳井さんとて、もとは山口県の衣料雑貨屋さんから。じゃ、これから…?)

 

※当時の関係者の方が本文をご覧になることも、もはやないかとも思うけど一応。「R」とは「凛凛」。ママは、松村黎さん。その後、病没。彼女の波乱の人生も凄かったと聞く。本当に惜しい人で残念でした。

 

―――20221222日、記

 

(追記)戦火燃ゆる世界の端の、平和な国の年が暮れます。先日のニュースに、「この会社、ホワイト過ぎます」で辞めた新入社員くんがいるとか。お、やるじゃん。最近、世の中が草食系ばかりになって、つまらん。かのケインズ先生だって「資本主義にはアニマル・スピリッツも必要だ」と言ってたし~。

 

皆様、楽しく良いお年を!


★神余秀樹プロフィール

 1959年、愛媛県に生まれる。1978年、広島大学文学部史学科東洋史専攻に入学。中国農村社会史に関心。1980年3月に訪中。解体寸前の人民公社の実地見学や劉少奇の名誉回復など、“脱・文革”の流れを実感。韓国・朴正熙政権の経済構造に関する研究会の他、露・ナロードニキの“非西欧性”と文学の関係には没入(大学の単位制度は無視)。丸山真男の超国家主義論、竹内好の魯迅論、三浦つとむ「官許マルクス主義」批判や、高野孟『インサイダー』に強く影響を受けた。意図的・計画的な留年2年を経て(当時、学費は安かった)卒業後、電気通信系の民間企業を経て塾業界へ。世界史の“情報職人”となる。

198990年、在英日本人高校の講師として英国在住。産業革命遺跡などを巡る一方、崩壊直前の“ベルリンの壁”、東欧・民主化革命の現場を見る。(その後も、パレスチナ和平に揺れるエルサレム[1996]、中国への返還前夜のポルトガル領マカオ[1999]など、歴史の積み重なった現場の数々を歩いた。)
 帰国後は河合塾世界史講師として30年余り。地図と年表を組み合わせて俯瞰する立体的マトリックスの手法をめざす。講義のほか模試の作成、難関大対策業務の数々、高校の先生方対象の入試研究会や研修なども歴任。

大学の市民講座は頻繁に聴講。近年は、歴史の底流たるマネーの流れにもこだわる。

目標は「難しいことを易しく、易しいことを面白く、面白いことを深く」。

 

★著書

『神余のパノラマ世界史(上・下)』(学研プラス、2010初版、2015改訂版)

『タテヨコ世界史 総整理・文化史』(旺文社、2009初版、2022改訂版)

『超基礎固め 神余秀樹の世界史教室』(旺文社、2018