※神余くんの世界史あいらんど…河合塾世界史講師「神余秀樹」先生(吉崎の恩師)の“ちょっとdeepな”世界史をご紹介します。
★オトナの歴史は、おカネの歴史よん!
しばらく“別世界”に翔んでました。今はルーティンワークに復帰してます。世間はWBCで野球に歓喜の一方、SVB破綻、クレディS※救済買収、そして日銀新総裁。
昨年急速に進んだ円安の影響で、日本に働きに来る人は減る一方、旅行・爆買いに来る人は増える。海外で働く日本人も増えそうで(同時に、資産の流出も!)。
※なぜスイスは金融立国なのか?「革命」の嵐(1789~)吹き荒れるフランスからの逃避マネーも一因で、政治リスク回避(資産防衛)の「永世中立(1815~)」は、近年教室では必ず言います。
◆おさらい、です。
「中央銀行の本来の役割は、金利を上げる・下げる?さて、どっち?」
(「そんなの当然」の人、失礼。でも、あやふやな人、本HPの昨9・10月の拙稿をご参照の程を。)
→答:上げる、でした。(世間の人からは憎まれます。でも、通貨価値を守るのがお仕事です。僕ら一般人は、細かい規則や数値計算は専門家に任せりゃいい。が、歴史的に次第に形成されて来た中銀の役割についての骨太な原理の理解!これ、誤ると、身を亡ぼすかも知れませんから。)
◆さて、本題。
「日銀は印刷機持ってんだからガンガンお札を刷ればいいんですよぉ!」
故・安倍晋三氏が宣伝カーの上で叫ぶのをTVで観て、「大丈夫かいな?」と思ったのは約10年前。やがて政権を奪還した彼が、日銀生え抜きの白川さんに代えて送り込んだ総裁が黒田さん。「シロからクロへ」の大転換。で、日銀一体どうなった?※日銀は株式会社です。株の55%を持つ大株主が政府(財務省)ですから。「中銀の独立性」の危機、ですが。
♪以下、五七調・ラップ調?――
アベクロミクスの10年間。掟破りのマネー供給。日銀BS(貸借対照表)、極度に肥大化。リスク資産も大量保有(ETF買い)。やりたい放題、大暴れ。タブーと禁じ手、これでもかぁ!
異次元バズーカ、何を壊した? 中央銀行の矜持はどこへ?※ 確かにそれなり株上がる。そしたら国民、まず安心?これなら選挙も勝てるわな。でも気がつきゃ恐いよ、副作用。売れない国債、日銀爆買い。長期金利を抑え込む、市場をゆがめたYCC※。いつまで続ける低金利。日米金利差どんどん拡大。マネーの流出、歯止めが効かん!虎視眈々の海外勢(ヘッジファンド筋)いよいよ噴出、溜まったマグマ。覚悟はあるのか、日本人。取り残されたぞ、世界から。見て見ぬふりか?総裁は。あとは野となれ山となれ~。(で、あと継ぐ人は大変よ…。)
※長短金利操作(YCC)。本来、中銀の金融政策が操作可能なのは短期金利。長期金利は市場で決まる(10年物国債が指標※)。でも黒田さんは長期金利までも抑えにいった。政府の財政拡大をまかなう巨額の国債を、結局は日銀に買わせる(こういう場合、一度は市場に流したものを日銀が買い取る。つまり「かつての第二次大戦期のような直接引き受けではありませんよ~」と、軍費の“打ち出の小槌”にされた経験から)。
さて今後。いずれ利上げ方向に舵を切らなければならなくなるのは必然で、その時は利払いが財政を確実に圧迫する。それを予測して織り込む向きは当然、海外にもいて…?(以下、恐ろしいことが起きないよう、植田さんには難題山積。)
※なお昨年、静かに激しい火花を散らした海外勢との攻防は、米国などの外部要因で今は小康状態。しかし、問題のファンダメンタルな条件は、何も除去されていない。
◆財政規律は、歴史の問題――金利に凝縮される世界史
昨秋、“英国史上3人目の女性首相”を市場は44日で葬り去った。(BOEの利上げ[緊縮]の最中、減税[緩和]という「ブレーキとアクセルを同時に踏む」愚策!しかも、それを国債の増発で賄うと…。「人々の暮らしのため~」の志やよし、されど…。この教訓、どこかの国にもあてはまりそうな)。
今後、債務上限問題が噴出しそうな米国(既に「格下げ」。米国デフォルトはまずないといわれるが…)。年金問題で今や連日暴動のフランスも同様。歴史は、続いている。――2023年4月21日、記
★「道徳なき経済は詐欺であり、経済なき道徳は戯言(たわごと)である」(二宮尊徳の言葉とされる名言)
借金大国の末路について。関連する数年前の拙稿を再録します。
◆「わが亡きあとに洪水は来たれ」――アメリカ独立革命からフランス革命へ――
ルイ14世末期の1713年、つまりスペイン継承戦争の終わった時点で積みあがった国債、つまり借金の総額はなんと税収の18年分! さすが“太陽王”。借金の額もハンパない。王の死後、これらすべて踏み倒されました(1715年のデフォルト)。やはり代替わりのタイミングです(→p.257)。貸してた側は泣き寝入り。「相手は王様だし…。」続くルイ15世、優雅でハイソなロココの時代。贅沢にお金はかける。で、デフォルトを連発(1722、1726、1759、1770)。これだけ踏み倒しを続ければ、いくら王様でももう安い金利では誰も貸してくれない。高金利はますます財政を締めつける。いわば、ローン地獄のブルボン朝。いや、財政に無頓着な貴族たちには「地獄」という認識も薄かったようで、そんなことより今夜の社交パーティーが大事だし~。(革命前の)人生は甘美だったと、のちにタレーランは言う。王の愛人ポンパドゥールは賢くも「私らの後はきっと大洪水ね」。その洪水は次のルイ16世の代についに押しよせる。革命はある日突然バスティーユから起きたのではない。危機は確実に蓄積されていました。本当の地獄が始まります。(拙著『パノラマ世界史(上)』[学研プラス]p.269)―
★神余秀樹プロフィール
1959年、愛媛県に生まれる。1978年、広島大学文学部史学科東洋史専攻に入学。中国農村社会史に関心。1980年3月に訪中。解体寸前の人民公社の実地見学や劉少奇の名誉回復など、“脱・文革”の流れを実感。韓国・朴正熙政権の経済構造に関する研究会の他、露・ナロードニキの“非西欧性”と文学の関係には没入(大学の単位制度は無視)。丸山真男の超国家主義論、竹内好の魯迅論、三浦つとむ「官許マルクス主義」批判や、高野孟『インサイダー』に強く影響を受けた。意図的・計画的な留年2年を経て(当時、学費は安かった)卒業後、電気通信系の民間企業を経て塾業界へ。世界史の“情報職人”となる。
1989~90年、在英日本人高校の講師として英国在住。産業革命遺跡などを巡る一方、崩壊直前の“ベルリンの壁”、東欧・民主化革命の現場を見る。(その後も、パレスチナ和平に揺れるエルサレム[1996]、中国への返還前夜のポルトガル領マカオ[1999]など、歴史の積み重なった現場の数々を歩いた。)
帰国後は河合塾世界史講師として30年余り。地図と年表を組み合わせて俯瞰する立体的マトリックスの手法をめざす。講義のほか模試の作成、難関大対策業務の数々、高校の先生方対象の入試研究会や研修なども歴任。
大学の市民講座は頻繁に聴講。近年は、歴史の底流たるマネーの流れにもこだわる。
目標は「難しいことを易しく、易しいことを面白く、面白いことを深く」。
★著書
『神余のパノラマ世界史(上・下)』(学研プラス、2010初版、2015改訂版)
『タテヨコ世界史 総整理・文化史』(旺文社、2009初版、2022改訂版)
『超基礎固め 神余秀樹の世界史教室』(旺文社、2018)