※神余くんの世界史あいらんど…河合塾世界史講師「神余秀樹」先生(吉崎の恩師)の“ちょっとdeepな”世界史をご紹介します。
★「正義」が人を苦しめる…1
秋の日々の近況。某日、М美術館。明治期以降の“超絶技巧”の微細な工芸品。当時は実にグローバルな時代(※)これらは盛んに輸出された。某日、N美術館で中国の古代青銅器や書画の数々。これら、かつて日本人が盛んに買いつけた。そして某日、都内某所。中国人美術商らが開くオークション(拍买)を拝見。陶磁器や書画に高価な値がついてゆく。なるほど…。
「ヒト・モノ・カネの移動」の歴史。「商品としての美術品市場」という視点も重要かと。
(※)ジャポニスム:浮世絵の海外流出は有名だけど、これも明治・大正のグローバリズム。次の昭和は戦争もあって閉鎖経済が続く(これは20世紀半ばの世界的な傾向で、戦後も~1970年代までは国際資本移動は極めて少なかった。(→僕は「金本位制」の説明でいつも詳しく述べます。)
そんなプチ優雅な日々、中東では(正しくは「中東でも」)子供が殺されている。(奇しくも前回の本HP[599・2023.9.17記]でPLOの腐敗とハマスについて触れた直後に起きた。)
◆事態を30秒で言えば、
欧州で迫害されたユダヤ人が念願かなって中東に建国!と同時に現地のアラブ人を迫害する側に立った。当然、反発も生じ戦乱が繰り返された。
◆まずは交通整理から――僕も参考書に書いた基本
〈ちょっとdeepに〉PLOに代わるハマスの支持の増大
PLOは本来パレスチナ人のための組織でした(その主流派がファタハ)。ところが、イスラエルやアメリカなどと外交的にも渡り合ううちいわば特権的な組織になり、貧しい民衆からは信用されなくなる。代わってムスリム同胞団(1929~)の流れをくむ一派ハマスが支持を広げます。彼らは診療所・学校運営など特にガザ地区の民衆の支持は厚く、2004年以降はパレスチナ自治政府での選挙でも圧勝を続けます。当然、憎きイスラエルとは武装闘争を続け、欧米などの「国際社会」からは「イスラーム原理主義過激派」と呼ばれている状況です。(2015刊・拙著より)
◆「イスラエルv.s.ハマス」なのか。いや「イスラエルv.s.パレスチナ」なのか。
面倒なのは、「ハマス」の戦闘員と、「パレスチナ」の一般市民の区別・線引きが難しいこと(かつての日中戦争、ベトナム戦争にも似て)。
その経過は「やられたらやり返す。100倍返し!」的なイスラエル(を事実上容認してきた「国際社会」への批判も)。「そもそも最初に仕掛けてきたのはそっちだろ。今回は一発殴り返しただけよ」と某パレスチナ人(でもそれは結局「報復の連鎖」よ、と僕は思う)。
◆「正義」と「正義」の戦い?
政治の力学とは冷徹なもので、こんな局面ではどんな言説も「結局、お前はどっちの味方なんだ?」と、右と左の綱引きに収斂されてしまう。解答なき2択問題の繰返し。
論理はまるで子供のケンカ、善玉v.s.悪玉の二元論か?
少し距離を置いてみます。
◆なぜか、みんなが言わないけれど
泣き叫ぶ子供。病院も修羅場の惨状。普通なら「政府は何やってんだ!」となるはずですが…、パレスチナ政府? ありますよ。「パレスチナ自治政府」(オスロ合意[1993]による)。でもなぜか(?)無力。存在感なき30年間。
自治政府議長アッバス。「パレスチナへの支援」を訴える(一応、表向きは)。豪邸と高級外車。国際支援物資を横流し・流用での蓄財だとか。これじゃ、貧しい人から支持されるはずもない。
◆PLOの腐敗と堕落〈参考書には書かなかったmore deep〉
贅沢のし過ぎか、でっぷり太ったアッバスは今、表舞台に出ることは本当に少ないようだ。もちろん、イスラエルを「非難」はする。「人道支援」を訴えもする。
でもそれは多分にタテマエだろう。彼の今のホンネは?(以下は推測。敢えて、書く)「面白いことになったぞ。これで、あのウザったいハマスの奴らは、イスラエル軍が潰してくれる。ガザ市民には気の毒だが、それも彼らがハマスなんぞを支持してきた自己責任だ。しかも“人道危機”とかでイスラエルも非難され始めた。これで『国際社会』の同情を利用して俺はうまく立ち回ればいい…。」
確認ポイント①:「自治政府」の腐敗と堕落への失望がハマスを拡大させた。
(※)「正義」を掲げて利権を漁る。「…解放機構」も「利権屋機構」に。古い言葉で“政治ゴロ” (「政治のゴロツキ」)。いつの時代も、どこの国にも、いるでしょ。いろんな業界にも(笑)。――続く
★神余秀樹プロフィール
1959年、愛媛県に生まれる。1978年、広島大学文学部史学科東洋史専攻に入学。中国農村社会史に関心。1980年3月に訪中。解体寸前の人民公社の実地見学や劉少奇の名誉回復など、“脱・文革”の流れを実感。韓国・朴正熙政権の経済構造に関する研究会の他、露・ナロードニキの“非西欧性”と文学の関係には没入(大学の単位制度は無視)。丸山真男の超国家主義論、竹内好の魯迅論、三浦つとむ「官許マルクス主義」批判や、高野孟『インサイダー』に強く影響を受けた。意図的・計画的な留年2年を経て(当時、学費は安かった)卒業後、電気通信系の民間企業を経て塾業界へ。世界史の“情報職人”となる。
1989~90年、在英日本人高校の講師として英国在住。産業革命遺跡などを巡る一方、崩壊直前の“ベルリンの壁”、東欧・民主化革命の現場を見る。(その後も、パレスチナ和平に揺れるエルサレム[1996]、中国への返還前夜のポルトガル領マカオ[1999]など、歴史の積み重なった現場の数々を歩いた。)
帰国後は河合塾世界史講師として30年余り。地図と年表を組み合わせて俯瞰する立体的マトリックスの手法をめざす。講義のほか模試の作成、難関大対策業務の数々、高校の先生方対象の入試研究会や研修なども歴任。
大学の市民講座は頻繁に聴講。近年は、歴史の底流たるマネーの流れにもこだわる。
目標は「難しいことを易しく、易しいことを面白く、面白いことを深く」。
★著書
『神余のパノラマ世界史(上・下)』(学研プラス、2010初版、2015改訂版)
『タテヨコ世界史 総整理・文化史』(旺文社、2009初版、2022改訂版)
『超基礎固め 神余秀樹の世界史教室』(旺文社、2018)