605.★「正義」が人を苦しめる…2

※神余くんの世界史あいらんど…河合塾世界史講師「神余秀樹」先生(吉崎の恩師)の“ちょっとdeepな”世界史をご紹介します。

「正義」が人を苦しめる…・2

  僕がイスラエルを訪れたのはもう四半世紀も前1996)※。現地で実感したのはアメリカ色の強さ。米国人の聖地巡礼のツアー客には到るところで出くわした。

◆「合衆国51番目の州」:イスラエル

実は宗教国家たる米国にとってイスラエルは聖地防衛国家であり、金融人脈でも完全に同盟国。もちろん中東石油資源を押さえる軍事的な装置でもある。

占領地1967~、西岸地区]のパレスチナ人のある町で、本当に偶然のことで、ある家でお茶をごちそうになった。「珍しい日本人がいる」ということか、友人らが何人も集ってきた。しばし談笑。その1人、顔に凄い傷跡。「その傷、どしたん?」。彼は一言。「インティファーダ!」。隣の男が解説。「彼はPLOだ」。なるほど…。その隣の革ジャンの男を指して「こいつはハマスだ。」「……。」

オスロ合意1993)と暫定自治を歓迎する声を僕も行く先々で聞いたが、それを批判するハマスらによる自爆テロもすでに各地で生じていた。

 

◆改めて、なぜか、みんな言わないけれど

30という時間があった。

学校を建て子供たちに〈世界〉を教え、高度人材すら育てる時間が。

韓国、ASEAN…。かつて情けないほど貧しかったアジアの各地に今は高層ビルが林立する風景も当たり前になった。ドバイやアブダビはもちろんのこと。

パレスチナ発のスタートアップ企業がNY株式市場にも名を連ねた…、かも知れない(あの渋沢栄一ならそう考えたはずだ)。

僕の学生の頃からも、「パレスチナ」と言えばいつも戦火に追われ逃げ惑う貧しき人々」。いつも「国際社会」に援助の手を差し伸べてもらうしかない哀れな存在…。

もういい加減にしろ(トンネルなんて掘ってないで、勉強しろ!)

 

◆ハマス幹部の腐敗

過去イスラエル軍は「やられたら100倍返し!の虐殺」で来た(アラブ人を対等の人間とは見ない、欧米の差別的な価値観も前提で)。

今やハイテク技術も格段のパワーアップを遂げたイスラエル軍が、「人質奪還」に総力をあげた報復戦に来ることを、ほぼ予測のうえでハマスは今回、意図的・計画的に「暴発」した10.7。その「指導者」らはカタールの安全地帯から、単純直情型の多い現場幹部や、疑うことを知らない少年兵らを操る(かつてのカンボジア・ポルポト派の少年兵を見る感も)。

絶望感無力感のなか、ほとんど仕方なしにハマスを支持するしかなかった人々。

(★最近は、展望なき「戦い」を強いるハマスを批判するパレスチナ人の声もあがっていたという。やはりね。これがカギかもよ。)

展望なき「戦い」が続くとどうなるか。

運動自体の前進よりも自分たちの政治的権威の維持だけがもはや目標と化した、いわば「左翼ヤクザ」のような暴力集団になり果てることを、僕は知ってる。

 

 今、子供を殺しているのは誰だ?もちろんイスラエル軍。しかし、オスロ合意1993を殺したのはイスラエルだけか?「パレスチナ自治政府」に責任はないのか。

本当に、なぜか、これを言う人が少ない。僕には理解できない。

 

(※)河合塾の教室でも「国連の分割決議1947)」の問題点、1967~の「占領地」の不当性、米国のダブルスタンダード…。毎年教えて来た。参考書にも書いてきた。

古い知人のなかには中東問題で権威のある先生もいて、今回の事態に関する自筆の記事などを僕にも送ってくれた。僕自身もこのひと月余り、知人の研究者や友人らに意見を聞いてもみた。その結果の、ほぼ一致した内容については、ここで紹介する必要もないかと思います。

もし自分の子供が現地にいたなら、「イスラエルが悪いのだから(ハマスとともに)正義ため戦え」とは僕は言えない。ただ「逃げろ。生きろ。」です。だからここは、僕の見方だけを書きました。

 

確認ポイント➁:なぜか、教科書に載らない重要事項

1971 アラブ首長国連邦UAE)成立:アブダビ、ドバイetc.7か国(←英国の肝いりも)

   ・ただし、独自の石油収入で単独で財政運営可能なバーレーンカタールは加入せず。

1981 湾岸協力会議(GCC)発足

2020 イスラエルUAE等と国交樹立(アブラハム合意)

 

※サウジの王族(HRH):アルワリード・ビン・タラール1991中南米融資の不良債権化で危機に瀕した米シティ・バンクの救済etc.功績・手腕は大きいのだが…)。

 

――2023.12.6 記

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★神余秀樹プロフィール

 1959年、愛媛県に生まれる。1978年、広島大学文学部史学科東洋史専攻に入学。中国農村社会史に関心。1980年3月に訪中。解体寸前の人民公社の実地見学や劉少奇の名誉回復など、“脱・文革”の流れを実感。韓国・朴正熙政権の経済構造に関する研究会の他、露・ナロードニキの“非西欧性”と文学の関係には没入(大学の単位制度は無視)。丸山真男の超国家主義論、竹内好の魯迅論、三浦つとむ「官許マルクス主義」批判や、高野孟『インサイダー』に強く影響を受けた。意図的・計画的な留年2年を経て(当時、学費は安かった)卒業後、電気通信系の民間企業を経て塾業界へ。世界史の“情報職人”となる。

198990年、在英日本人高校の講師として英国在住。産業革命遺跡などを巡る一方、崩壊直前の“ベルリンの壁”、東欧・民主化革命の現場を見る。(その後も、パレスチナ和平に揺れるエルサレム[1996]、中国への返還前夜のポルトガル領マカオ[1999]など、歴史の積み重なった現場の数々を歩いた。)
 帰国後は河合塾世界史講師として30年余り。地図と年表を組み合わせて俯瞰する立体的マトリックスの手法をめざす。講義のほか模試の作成、難関大対策業務の数々、高校の先生方対象の入試研究会や研修なども歴任。

大学の市民講座は頻繁に聴講。近年は、歴史の底流たるマネーの流れにもこだわる。

目標は「難しいことを易しく、易しいことを面白く、面白いことを深く」。

 

★著書

『神余のパノラマ世界史(上・下)』(学研プラス、2010初版、2015改訂版)

『タテヨコ世界史 総整理・文化史』(旺文社、2009初版、2022改訂版)

『超基礎固め 神余秀樹の世界史教室』(旺文社、2018